大阪グルメを求めて ~近畿旅紀行~

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「叡福寺」太子町の隠れた名所!河内三太子の1つ 聖徳太子の墓所がある磯長山

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f:id:GOSE:20190127193324j:plain大阪府南河内地域に位置する太子町は、町の名前の通り「聖徳太子」に縁のある土地です。

 

大阪府富田林市の「美具久留御魂神社」を訪れた際に、犬を連れたご婦人と仲良くなり、お話しをしていたのですが、周辺に疎い私は「おススメの神社・仏閣はありますか?」と聞いてみた所、

 

「叡福寺は訪れた方が良い」と教えてもらい、これも何かのご縁、早速訪れてみました!

聖徳太子が眠る叡福寺を訪れたお話

太子町は二上山の麓にあり、静かで何の変哲もない田舎町・・ですが、聖徳太子が眠る「叡福寺」があり、知る人ぞ知る隠れた名所となっています。

 

推古28年(620)に、聖徳太子はこの地を墓所と定め、推古30年(622)に亡くなった後に、推古天皇の命により、墓所にお堂が建てられたのが、始まりと言われているそうです。

 

南大門から境内を歩いて

叡福寺の前にある駐車場に車を停めて、まず見えてきたのは「南大門」

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南大門は、戦国時代の天正2年(1574)織田信長の兵火に焼失しましたが、慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進よって再建されましたが、老朽化により昭和33年に再々建との事。

 

急な階段ではないですが、ちょっとした運動となりましたが、冬ですのでちょっと寂し気な風景ですが、春には桜が咲き乱れる名所でもあるようです。

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守護している金剛力士像、ちょっと小さめ?

 

大きな草履が何個かあったのですが、お坊さんに確認した所、修行僧の方が道中の安全を祈って奉納されたようです。
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手水舎は、龍の形をしたよく見るタイプですが、おみくじや絵馬が、こちらの周辺に結ばれていましたが、お願い事の多くは聖徳太子のご利益に倣って「志望校に合格出来ますように」というのが多かったです。

 

皆さんのお願い事が叶いますように!合格出来ますように!!

 

とか思いながら手を清め、取りあえず境内を真っ直ぐ進んでいきます。

 

聖徳太子御廟

境内の一番奥となる二天門の前、いよいよ墓所となる「聖徳太子御廟」が眼前に!っと思いつつ、後ろが気になって振り返ってみると、殆ど人がおりませんでした。

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休日15時を過ぎた時間帯ですが、時間が止まったかのような静寂の中、心穏やかに参拝できました。

 

聖徳太子が建立したお寺さんといえば、奈良の法隆寺や大阪の四天王寺などが有名かと思いますが、時期を問わず賑やかな場所が多いですよね。

 

それらを比べると「叡福寺」はあまり知られていないように思えます。

 

それ故に観光地のような賑やかさはなく、静かに参拝出来る事が利点でもあります。

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「聖徳太子」と、その母である「穴穂部間人皇女」と妃「膳部菩岐々美郎女」が埋葬されているそうで「三骨一廟」と呼ばれているようです。

3人一緒でしたら寂しくないでしょうね、どうか安らかにお眠りください。

 

科長岡(しながおか)神社について

上記の「三骨一廟」から右に逸れ、叡福寺の境内の最奥にひっそりと鎮座されている神社を発見しました。

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科長岡(しながおか)神社と読むそうで、磯長山(しながさん)と同一読みですので、関係性が深いように思えます。

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何とも神秘的な雰囲気ですが、何故かこちらに強烈に引き込まれまして、しっかりとお祈りをしておきました。

 

二礼二拍一礼を済ませ、立ち去ろうとした際に一陣の風が吹き、木々がザワザワと揺れました。

 

何となく不思議な感覚に包まれ、しばし足を止めて山々を見つめていましたが、もしかしたら神様に歓迎されたのかもしれません。

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御祭神は、天照皇大神、天御柱國御柱命、天児屋根命、品陀別命、八坂大神、道祖大神、保食大神、菅原道真公、市杵島姫命

 

創建年や由緒は不明との事で、恐らくは聖徳太子の墓所を守る叡福寺の鎮守社との事ですが、訪れた際は、またご挨拶したいと思います。

 

金堂や多宝塔について

「聖徳太子御廟」の他にも、国の重要文化財となる「多宝塔」や「太子堂」、府指定文化財の「金堂」など、再建されたとはいえ400年以上この地に存在し続けていると考えると、浪漫を感じざるを得ないですね。

 

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叡福寺・金堂 大阪府指定文化財

 

小屋裏に残されていた棟札から、享保17年(1732)に再建されたとの事。

 

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叡福寺・多宝塔 国指定文化財

 

承応元年(1652)、江戸時代の豪商、三谷三九朗によって再建され、昭和52年に国の重要文化財に指定。


逆光な上に、木々が邪魔して上手く撮れていないという・・・、失敗失敗・・

 

休憩所で古風な電話機を発見

叡福寺に入ってすぐ右に休憩所があったのですが、中を覗いて見たら色々な書籍やテーブル&椅子があり、ゆっくりするには丁度良い空間となっていました。

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何処か趣がありますが、奥をよく覗いて見ると・・・

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古風な電話機を発見!

大正か明治時代に使われてそうな電話機ですが、質感的にそれほど古くはないようで、自分のスマートフォンに掛けてみたのですが、問題なく使えるようでした。

 

ここで時間を忘れて休憩したら、タイムスリップしてしまいそうな、中々雰囲気のある休憩所でございました。

 

アクセス

〒583-0995  大阪府南河内郡太子町太子2146

TEL:0721-98-0019

 

近鉄長野線 喜志駅または近鉄南大阪線 上ノ太子駅から、金剛バス太子線・喜志循環線「太子前」バス停下車徒歩約3分。

 

無料駐車場もありますが、殆ど車が停まっておらず停めやすかったです。

 

関連記事について

太子町で営業しているイタリア料理店「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」の紹介ページです

kankou.gosekun.com

 

最後に

聖徳太子ゆかりの寺院として、太子町の叡福寺を「上之太子」、羽曳野市の野中寺を「中之太子」、八尾市の大聖勝軍寺を「下之太子」

 

四天王寺とともに、太子信仰の中心として上記3寺は「河内三太子」と呼ばれているそうです。

 

調べれば調べるほど歴史は奥深く、底が全く見えないですが、今後も様々な土地を探索していこうと思います。

 

さてさて、ここまで読んで頂きありがとうございます!

また次回に~(^^)/